DJやきいものアラサー成長日記

ゆるく浅ーいアラサ―女アイドルヲタの雑記ブログ。北海道苫小牧市から発信。

北海道胆振東部地震の今。

こんにちは。

DJやきいもです。

 

一昨日の夜でした。

関西の台風災害を受け、更新した記事。

www.djyakiimo.work

 

この数時間後に、

まさか自分が、大地震の被災者になるとは思ってもいませんでした。

停電が全面復旧しない中、顰蹙をかうかもしれませんが、

記憶の新しいうちに記事を書き、次の防災につなげていきたいと思ったのでアップします。

 

地震発生当時

 9月5日夜。

私は自然災害に関する防災意識についての記事をアップしました。

災害に対する「危機感」をもつことという内容です。(上に貼りつけてます)

記事をアップして、いつも通りベッドで寝ていました。

 

それからです。

9月6日

地震発生。

突き上げるような、かなり強い揺れを感じました。

 

気づいた時にはもう歩くことも できない状態です。

わりと地震には敏感なほうで、すぐに察知するんですが、

緊急地震速報もならず、深夜のことだったので、もちろん無防備な状態です。

飛び起きるように私は、別の部屋で寝る旦那のもとへ駆けつけました。

深夜。暗闇の中、なんとか壁を伝いながら、無事を確認。

それからすぐに玄関ドアのカギをあけ、テレビをつけました。

経験したことのない、地震でした…。

本当に一瞬のことでしたので、何が起きたのか、わからなかったですね。

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↑発生直後の部屋です。

 

単純に、棚にもの積みすぎっていうのもあるんですが(笑)

全て落ち、冷蔵庫は勝手に開き、物が散乱している状態でした。

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 ↑照明のフタが外れ、落下。部分的に割れていました。(ケガはなかったです)

  

まず頭をよぎったのが、「津波」です。

私の住む苫小牧市は、太平洋沿岸に位置していますので、

東日本大震災を思い出し、すぐに避難準備をと思いました。

 

しかし速報では津波の心配はないとのことでした。

ただ安堵はできません。そのあとも余震は続き、そして、

 

突如として全ての電気が消えました。

 

深夜3:00過ぎです。

余震のためさあ備えようという中、一切の情報が遮断され、暗闇と化しました。

ラジオもなく、すぐに携帯でネットを開き情報を集めます。

震度は5強。(苫小牧市)

震源はほど近い、安平町との情報でした。

 

私はすぐに枕元の非常用バッグを取り出し、

懐中電灯を出しました。2Lのペットボトルに水を入れ、灯りとして利用。

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 ↑横から懐中電灯を当ててもかなり明るくなりました。

 

情報が入ってこない恐怖。

ほかの箇所の被害状況も、わからず。

Twitterやネットで情報を知りますが、充電が減っていく。

停電は、いつまで続くのか?水道は?ガスは?

私はまだ、他人事のような感覚でいました。

 

まさか、自分が被災者になるなんて思わなかったからです。

 

北海道は、特に私の住む胆振地方では、

大きい震度の地震はそんなに多くなく、地震に対しての意識は正直高くありません。

 

 なので、どうしたらいいのかわからない、

避難所がどこなのかもわからない。

おそらく多くの市民の方が感じたことのない地震の大きさに、

恐怖と不安を覚えたと思います。

 

私も、壊れそうなほどの自宅アパートの揺れる音と見えない不安に、

命にかかわるような身の危険を感じたのは初めてでした。

本当に、怖かったです。

 

停電について

 それから朝になり、食糧確保のため外に出ました。

市内のスーパーやコンビニでは開店しているのは数店舗。

ホームセンターでは、発電機で1台だけレジを稼働。

コンビニでは電卓で手計算です。

長蛇の列ができました。

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↑列はかなりの数でした。


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↑信号はほぼ停止です。

 

明るいうちに、夜の準備をします。

電池やライトは売り切れ状態。備えてあった1本の懐中電灯と、

ローソクだけが頼りです。(LED型と、ランプ型) 

買えるだけの食糧を必要分買い込み、日が落ちる前に食事を済ませました。

そして近かったので実家の両親や祖母の無事を確認しに行きました。

ラジオを一つ借り、とても助かりましたね。

 

その間にも、何度も体で感じる余震が続きました。

 

そして、夜です。

本当に暗い。街頭も、信号も、何もない暗闇の街の中。

幸いなのか自宅の付近には医療機関や関連する施設があり、非常用電源なのか

その施設の照明は明るく、灯りを感じることができました。(わずかですが) 

 

陶器型のアロマランプがあったので、それとLEDローソク

トイレに行くときは懐中電灯を使います。

たまたまうちには合計3台のタブレットもあり、あらゆる電子機器を灯り代わりに使いました。

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そしてラジオを聴きながら、じっと朝を待ちます。

あんなに長い夜は、初めてでした。

ライフラインは電気だけが途絶えましたが、幸いうちはガスや水道は異常なし。

にもかかわらず、なんて無力なんだと心底思います。

電力がなくなるだけでこんなにも不便なのかと。

 

ふと、ラジオから流れる音楽に思わず涙が出ました。

今、自分が生きているということ。

 

聴き馴染みのあるパーソナリティーの声が、被害状況や復旧状況を伝えます。

 

誰かの声でこんなにも安心するなんて、と思いました。

そしてしきりに外を見てしまうんですが、ふと空を見ると、

非情にも北海道の澄んだ星空が広がっていました。

この空の下で今も、救助活動や復旧作業が行われているんだと思うと、

自分の無力さ、非力さを感じ、ただただ涙が出るだけでした。

 

これから

 私の生まれ育った北海道が、こんな災害に遭うとは、夢にも思いませんでした。

震度7厚真町にも、震度6強のむかわにも、

液状化している札幌市清田区にも、親戚や友達、後輩がいます。

 

厚真町平取町、むかわ、日高、何度も行ったことがあります。

部活の試合、温泉、ドライブ、友達の家。

私の住む胆振地方の地は、本当にいいところです。

そんな北海道が大好きで、とても大切です。

 

誰にでも、故郷はあると思います。

 

まだまだ復旧は必要ですし、続く余震もどうなるかわかりません。

 

あの記事を書いた数時間後に、実際に被災したから言えます。

 

災害は、本当に他人事ではないです。

 

不安を煽るわけでないですが、

この地震が、台風が、災害がいつ東京や他都市を襲うなんて確率はわかりません。

私も余震の恐怖があります。

明日またくるかもしれないし、こないかもしれない。

 

私は大丈夫だろうと、高を括るよりも、

できることから防災を、備えをしてほしいと思います。

 

自分の住む地区の災害時の想定をしてみたり。

 

小さいことからでいいと思うんです。

明日は我が身です。

 

熊本地震阪神淡路大震災新潟県中越地震長野県北部地震東日本大震災

そして、北海道胆振東部地震

 

名前を上げればキリがないくらい、他にも地震や災害が日本各地で発生してます。

 

どうかこの教訓を、次の防災につなげてほしいです。

 

 

 

停電復旧に夜通し尽力してくださった北海道電力さまをはじめ関係各社の皆様には頭が上がりません。

自分も被災している中、スーパーやコンビニでかろうじて営業してくれている方たちや、

医療機関で働く方、インフラ関係で復旧や作業に追われている方、

自分にできることをと思って考え、行動している人。

 

本当に当たり前の暮らしを出来ることに感謝しなきゃと思います。

 

 

自分も、できることはないか、

地元の北海道をいち早く復旧したいという一心です。

本当に微力で自分なんてできることは何もないんですが、

この経験を、誰かのいつかにつなげられれば、それもできることの一つだと思うので、

記事にしました。

こういった類の文章や意見には、賛否両論あるかと思いますが、

自分自身の整理の意味と、記録、防災への意識のために 殴り書きでメモ程度の文章ですが、簡単な記録としてアップしました。

何か不快に思われる方がいたらすみません。

出来る限りの節電をして、備えたいと思います。

 

 

 

北海道の一日も早い復旧と、平穏を願います。

 

 


自衛隊防災BOOK

 

DJやきいも